
今回の書評は『日本史に学ぶ マネーの論理 飯田泰之』だ。
本書では日本における貨幣の誕生から今に至るまでをぎっしりと解説されている本である。
お金についてイチから学びたいという人は必読の書である。
『日本史に学ぶ マネーの論理 飯田泰之』がオススメの理由

注目されるべきは、石貨そのものではなく、貨幣を貨幣として存立させている論理に、時間・空間を超えた共通部分があるという点だ。
遠い昔、貨幣が誕生したとき、材質は石だったと言われている。
サイズは様々あるだろうが、よく原始時代を描いたアニメーションなどで大きな石貨を転がしているシーンがあるが、あれもあながち間違いではないかもしれない。
ここでは貨幣は材質や形はさておき、その論理はいつの時代も共通しているという点だ。
要は一度貨幣が誕生してしまえば、それにより社会構造は決まってしまうと言っても過言ではないだろう。
現代で言えば、キャッシュレス社会へ変貌しようとしているが、その根本的な論理は変わっていないのだと思う。
大事なのは、その貨幣の構造を論理的に把握している人していない人がいることだろう。
いつの時代もその構造を良く知る人間が世の中をまわすことになる。
今からでも遅くない。
お金について学ぶべきは今なのだと思う。
貨幣は潤滑油

経済活動の本質は物と物(または労働と物)といった実体あるもの同士の交換や生産活動にあり、貨幣はあくまでその潤滑油であるという見解である。
貨幣がなければ、我々が物資を手にするには物々交換をするしかない。
そんな時代になっていたらそれはそれで面白いかもしれないが、物々交換にはコストがかかる。
交換するための手間や費用をどうするか。
大きなものであればあるほど物々交換は大変になる。
毎日お隣さんの醤油をもらうために自分は味噌を持って行く、みたいには現実的ではない。
やっぱり面白くないかも。
そこで貨幣があるとスムーズにまわる。
大きな荷物を自分で持って行く必要はなく、その価値に見合ったお金を出すだけで自分の欲しいものが手に入る。
こう考えるとやはり今の時代は恵まれているのだ。
国によっては不便なところもまだまだあるだろうが、日本で言えば、何か食べたくなったらコンビニに行けばいいし、急な熱で困ったときはドラッグストアに行けばいい。
ある程度のお金さえ持っていれば、生活に困らないような構造になっているということは、改めて考えるととても幸せなことなのだろう。
私たちはその幸せの上に立ち、不便だ不便だと言っているのかもしれない。
仮想通貨の代償

無から有を生み出すように感じる暗号通貨も、その供給のためには電力という資源が用いられていることを忘れてはならない。
仮想通貨は現在、若干下火になっているように感じる。
ビットコインが240万円の値をつけていたころは仮想通貨を買えば誰でも儲かるような状態だったが、現在はビットコインも100万円以下まで落ち込んでおり、今後の展開に注意が必要だ。
おそらく私個人的には、仮想通貨はどんどん広がっていくと思っている。
政府に縛られない自由なお金、というイメージがある以上、これが広がるのを止めることは誰にもできないと思う。
ポイントとなるのは、アフリカだろう。
銀行口座を持っていない人が多いなか、スマホは誰でも持っているような時代だ。
そうなるとスマホがあれば仮想通貨を使うことができるから、そういった地域で爆発的に広まってしまえば仮想通貨が覇権を取るのもそんなに先ではないと思う。
ただ引用にもあるように、仮想通貨をマイニングするためには大量の電力が必要になるのだ。
仮想だからと言って簡単にできるわけではない。
電気代があまりかからなくなるようになるか、電気がもっと手軽に使えるようになったとき、仮想通貨は最強の貨幣となるだろう。
もしかするとここからの人類史は仮想通貨がずっと貨幣として使われるようになる可能性もあると思う。
本来であれば、日本としては「暗号資産」と呼ぶことが決まったことからそう書くべきだが、これは今更感がある。
いちばん最初の段階で、「暗号通貨」と言葉を定義していれば、今の状況はまた少し変わっていたのではないか、と思う。
「仮想」では不安だが、「暗号」ならば安心と思う人が多くいるだろうという理由から。
