
人間誰しもがすることがある。それは「恋」である。
子どもであろうが学生であろうが社会人であろうが老人であろうが、誰もが常に恋をする可能性を持って生きている。
そして良い想い以上に、つらい想いをして傷つくことになる。
おそらく恋をすると良いことよりもつらいことのほうが多いのかもしれない。
それでも人は恋をする。
それは何かに突き動かされるように。
それはあたかもあらかじめ決まっていた運命のように。
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心の中には好きな人と同じ形の穴ができる

恋をしているあいだに心の中にあるものができる。
好きな人専用の穴である。
心の中どこかに、好きな人でしか埋めることができない空間ができるのだ。
その穴の存在は、恋がうまくいっているあいだは気付かない。
毎日毎時間、その穴は好きな人で埋まっていて見えなくなっている状態だからだ。
しかし、
その人に会ったり連絡をとったりしているあいだはその穴が埋まるため気づかないが、会えなくなったときにその穴は途端に寂しさの風を通す穴となる。
その穴はその人専用のため、ほかの人では埋めることはできない。似たような人で埋めることはできるが必ず隙間が生まれ、そこからため息のような物足りなさが漏れ出すのだ。
代用が効かないから、うまくいかないときは隙間風により心が冷えてしまい、迷うことになるのだ。
どうすればその穴が埋まるかと言えば、時間をかけることだけだ。
心の穴は時間をかければ自然に埋まっていく。
皮膚にできた傷がふさがっていくように。
ただ人によってその必要な時間は異なる。
1ヶ月かもしれないし、半年かもしれないし、1年かもしれない。なかには一生かけて埋めることもあるかもしれない。
きれいな傷なら治りは早いかもしれないが、ジュクジュクとしているのなら治るのに時間がかかるだろう。
こじらせてしまえば、元よりも穴が大きくなり傷みは大きくなることになるかもしれない。
それでも治す方法は時間をかけること以外にない。
自分の自然治癒力に期待するしかないのだ。恋愛の傷は医学では治せないのだから……。
恋愛中は自分の感情としっかり向き合うことが大切

恋愛において大事なのは、感情としっかり向き合うことだ。
それは恋愛がうまくいっているときよりもうまくいっていないときこそに、しっかりと向き合わなければならない。
失恋したらつらいだろう。
もう何も手につかないくらいダメージを受けるだろう。
ときには生きていることに疑問を抱くこともあることだろう。
だが人生において、恋愛においてつらい思いをすることは貴重な経験なのだ。
誰かを好きになり、その気持ちが受け入れられず、どうしていいかわからず途方に暮れる。
こんなことは恋愛以外では味わえない感覚である。
恋愛しているとき、自分の嫌な部分を知ることはないだろうか?
自分の短所を浮かび上がらせるには、誰かを好きになり、自分のことを見直す機会を持つことが重要だ。
誰も好きにならないのであれば、自分がどう人から見られているかを気にしなくなるだろうし、自分を磨くこともしなくなるだろう。
そのときに相手から自分の長所に気づかされることもあれば、短所に気づかされることもある。
人は誰かと近づくと自分の内面と向き合わざるを得なくなってくる。
それはコミュニケーションをとるなかで、自分の中にあるものを少しずつ出していかなくてはならず、ある意味切り売りしていくようなものだ。
最初はうまくいっても徐々に自分の中にある長所が出尽くしてしまう。
そして徐々に短所が出てくるようになる。
それが悪いこととは言えない。
人間は、長所と短所の双方を必ず持っているものであり、長所だけの人間は存在しないからだ。
そんな人間がいるとするならば、それはもう人間ではない。
自分の短所が見えるとつらいはず。
そのときにこそ、逃げてはいけないのだ。
そのつらい感情と向き合い、自分の弱いところを見つめ直すのだ。
傷口に塩を塗るような行為のため、つらいはず。
だがそれをしておかないとはっきり言って成長はない。
さっさと忘れて次の恋に、という人もいるだろうが、ここは成長のチャンスと見てじっくりつらい感情と向き合ってみよう。
気持ち的にはかなり落ち込むだろうが、考えてもみてほしい。
それほどのダメージを受けて落ち込むことが、今後の人生であと何度あるだろうか。
おそらく数える程度だろうし、もしかすると今が最後かもしれないのだ。
そんな貴重な経験を簡単に終わらせてしまっては勿体ない。
特に、相手に失礼だ。
好きになった人のことで悩むことができるなら、それは幸せと言えることなのではないだろうか。
誰のことも好きにならず、ただ淡々と生きていくのとどちらが良いだろうか。
そう考えれば、恋愛をして失恋して砕けて落ち込んでいる自分を、どこか励ましたくなるのではないだろうか。
考えようとしなくても好きな人のことが頭に浮かんでしまう期間は思いのほか短い。
それは今だけの特別な感情だということを心に刻もう。
共感できるということは奇跡

相手が好きなことを共有し、共感することが相手を理解するいちばんの方法である。
誰か他人から自分の好きなものに対して興味を持ってもらうことは格別にうれしいものだ。
そういう経験はあなたにもあるだろう。
誰かと同じものを好きになり、話し合ったり笑ったりすることが愛おしい。
多くの人間がいて多くの物であふれかえっている中で、ふたりがひとつものに対して共感できることのすばらしさよ。
自分が好きなものを誰かに共感してもらう機会は少ない。
なんとなく合わせるだけならあるかもしれないが、ちゃんと共感してもらうことは少ないはずだ。
逆にあなたは誰かの好きなものに対して共感してあげたことは何度あるだろうか。
ふたりが同じものに興味を持ち、好きになる確率は低い。
だから、好きな人が好きになったものを好きになればいいのだ。
最初は好きでなくてもいい。
徐々に徐々に、その好きな人を好きになるように、その物も好きになればいい。
それが相手も望んでいることだったりする。
本気で共感してみよう。
すると相手との関係も大きく変わってくるはずだ。
好きなもののことを語っている相手の瞳を見てみよう。
きっと輝いてるはずだ。
その瞳のかがやきは何よりも美しいはずだ……。
好きな人から好きなものに共感してもらえるということは、奇跡なのだ。
傷つき傷つけること

人と接すると相手を傷つけてしまうことがある。
それは恋愛についても同じことが言える。
恋愛をうまく進めるためには相手を深く愛する必要があるが、傷つけたくないと思ってしまうと人を深く愛せなくなる。
深く愛するためには、相手を傷つけるかもしれない未知の領域に踏み込む必要があるからだ。
相手が何によろこび、何に怒り、何に悲しみ、何に幸せを感じるのかを知るには、見えない暗闇に手を伸ばすようなもので、まさに手探り。
手探りになれば自分か相手が傷つく可能性がある。
相手を傷つけることは望まないが、行動を恐れては深く愛することができない。
傷つけずに愛することができると言っている人がいるとするならば、それは深く愛したことのない人の戯れ言である。
深く愛そうとすれば相手を傷つけるかもしれないことを理解した上で、その傷さえも愛する覚悟がなければならない。
恐れず踏み込もう。
例え、砕けて散ってしまったとしても……。
好きだけど諦めなければいけないときの思考法

あなたを「A」としよう。
あなたが好きな人を「B」としよう。
「B」が好きな人を「C」としよう。
あなた「A」はどうしようもないくらい「B」が好きで好きでたまらない。
寝ても醒めても「B」のことばかり考えてしまい、他のことが手につかないほどだ。
何かしていても「B」のことをふと思い出してしまったりして、もう「B」のことの想わないことはないほど、心は「B」で溢れている。
でも、「B」には他に好きな人がいる。
「C」である。
どんなにアピールしても「B」は振り向いてくれない。
でももうあなた「A」の心には「B」が住み着いてしまっていて、「B」以外の人を好きになることなど考えられない。
だからどうにかして「B」に振り向いてほしいと思っている。
あなたの恋心もこのような感じだろうか。
では、ここで考えてほしい。
「B」に「C」を諦めてもらい、あなた「A」のほうを向いてほしいと思うとする。
それが可能かどうかはわからないが、可能性はゼロではないだろう。
ここで「B」の気持ちを考えてみよう。
「B」はあなた「A」が「B」を想う気持ちと同じくらい、「C」のことを想っているのだとしたら……?
「B」に「C」ではなく「A」を好きになってほしいと思うことは、「A」であるあなたが「B」を諦めて他の誰かを好きになれ、と言われているのと似ているということだ。
さて、「A」は「B」を愛している。
だが、「B」も「C」を同じくらい愛している。
では、「A」は「B」以外の例えば「Z」を好きになれるだろうか。
こう考えると「A」の「B」を想う気持ちが簡単には通らないということがわかるだろう。
恋愛とは不合理で曖昧なものなのだ。
さあ、あなたはどうする?
……。
勘違いしないほしいのは、諦めろと言っているわけではない。
それでも好きならば追い掛ければいい。
結果はどうあれ好きになったのだから、振り向いてくれる可能性がゼロでない限り、そっと好きでいていいのだ。そっと……。
本気で好きになるということ

あなたは今までの人生で本気で好きになった人は何人いただろうか?
人によってその人数は異なるだろうが、平均すれば2、3人ではないだろうか。
たった1人という人もいれば、もっといるという人もいるかもしれないが、平均はこの程度だろう。
人を何人も本気で好きになるほど人生は長くない。
限られた人生の中で本気で誰かと向き合うことは思いのほか少ないはずだ。
何が言いたいかと言えば、人生で何度あるかわからない本気の気持ちは、大事にしたほうがいいということだ。
今後、本気で好きになる人が現れない可能性だってある。
これが最後の恋という可能性だってあるのだ。
だから、そのまま突っ走ればいい。
うまくいってもうまくいかなくても、その気持ちを存分に味わえばいい。
本気で人を好きになったときの気持ちはそう何度も味わえるものではない。
それを、ときには痛みがあったとしてもしっかりと抱きしめ、その温度を確かめるのだ。
そうすることで、あなたの心のなかに何かが生まれるはずだ。
それが今の恋を発展させるものか、はたまた、未来での恋愛に役立つ何かなのか、それは誰もわからない。
ただ、自分の感情を丁寧に感じ取ることが、自分の人生の幅を広げるために大きな役割を担うことは間違いない。
最後にアドバイス
恋がうまくいかなかったときの対処法として以下のことをしてみると良い。
2、そして、それを読み返す。
3、さらに、読み返したときに感じたことを追記する。
なぜこれをしたほうが良いのかは、実際にやってみて感じほしい。
振り返ることは痛みが伴うが、きっと意味がわかるから。
それでは、あなたの恋がうまくいくよう祈って、この記事はおしまいとする。
