
今回は、人生や生きる意味について考えてみたいと思う。
この世は元々「無」からできたと言われている。
それは本当なのだろうか。
完全な「無」から何かが生まれるなどあり得るのだろうか。
ビックバンで「無」からこの世は生まれたらしいが、「無」の状態から爆発が起こるなど、信じられるものではない。
おそらくそれでしか説明できないのだろう。
人間には知り得ないことはこの世にゴマンとあるはず。
「無」というよりは、「プラスマイナスゼロ」なのではないか、と私は思っている。
要はプラス1のことが起こればマイナス1のことが起こる、というように、必ず帳尻を合わせようとするのがこの世の仕組みなのではないか。
だからこの世は「無」から生まれたのではなく、元々永遠に存在している空間に、爆発的にこの次元が広がったのではないかと。
「永遠」いうものが存在するという考え方は、「無」から「有」が生まれるということと同じくらい突拍子もない考え方ではあるのだが……。
この場合、膨大なプラスが発生しているわけだから、その帳尻を合わせるために、いつか圧倒的なマイナスが起こると思われる。
それは人類滅亡だったり、太陽系の消滅なのかもしれない。
ただそれは我々人間が気にすることではない。
おそらく何億年も先のことなのだから。
結局プラスマイナスゼロになるのであれば生きる意味というものがあるのかどうか、という問いが生まれるだろう。
それにも答えはない。
そもそも生きることに意味などないのだ。
意味は人間が後付けしているだけだ。
人間以外の動物や植物が生きる意味を考えているだろうか。
考えていないだろう。
ただ毎日を生き、生をまっとうしたら死を迎えるだけ、ただそれだけで、それを本能的に察して生きているだけなのだ。
動物たちがバカなわけではない。
人間が賢くなりすぎたのだろう。
本当なら生きる意味など考えないほうが幸せなのかもしれない、とも思う。
では、どのように生きていくことが人間として幸せと言えるのだろうか。
これには答えはないのだが、あるとすれば自分を大切にすること、なのだと思う。
ありきたりかもしれないが、自分を大切にできなければ他人を大切にできないもの。
自分を蔑ろにして他人を大切にしようとする行為は、ただの犠牲である。
自分を大切にしていない人に、大切にされたとしてあなたは嬉しいと感じないはずだ。
嬉しさとは共有するものであり、一方的に受けるものではないということだ。
ただ、その嬉しさがプラスだとするなら、そのうちきっとマイナスのことが起こるだろう。
ずっと嬉しいことや楽しいことだけの人生を送った人など、この世にはいない。
これに例外はない。
あなたも必ず、プラスとマイナスを両方経験し、それがシーソーのように続くはずだ。
そのシーソーに乗っていることを自覚し、少しでもプラスに傾くように謙虚に生きることが最終的には必要なのだと思う。
大きな幸せを求めるのではなく、小さな幸せを積み重ねるように生きることで、人生が終わろうとするとき少しだけプラスに傾いていたなら、それが幸せということなのだ。
今、プラスの位置にいるなら、次に来るマイナスに備えよう。
今、ちょうどゼロの位置にいるなら、次に来るのがプラスでもマイナスでも受け入れる準備をしよう。
今、マイナスの位置にいるなら、次に来るプラスを期待して待とう。
すべては繰り返しのなかにあり、その繰り返しこそが愛すべきことだと知ることで、人生は少し生きやすくなるということを添えて終わりにしよう。