
今回の書評は『居るのはつらいよ 東畑開人著』だ。
臨床心理士である著者が実際に沖縄で勤務したときのことを元にして書かれた本である。
今、ケアやセラピーに関わる仕事をしている人、これから臨床心理士を目指す人にはタメになる本だろう。
また、まったく違う職種であっても、「自分の居場所がない」と仕事で悩みを抱えている人にもオススメである。
まず、プロローグから一部引用してみよう。
「それでいいのか?」
「それでいいのか? それが仕事なのか?」
「それでいいのか? それは価値を生んでいるのか?」
「それでいいのか? それ、なんか、意味あるのか?」
こう言われてあなたはどう感じただろうか?
ケアとセラピー

本書の中でケアとセラピーのちがいについて書かれている箇所があるので引用してみよう。
ケア。それは日常とか生活に密着した援助のあり方だ。セラピーが非日常的な時空間をしつらえて、心の深層に取り組むものだとすれば、ケアは日常のなかでさまざまな困りごとに対処していく。深層を掘り下げるというよりは、表層を整えるといってもいいかもしれない。
一般人にはこれでもよくわからないが、言い方を変えるとセラピーは能動的で自分から患者に対して働きかけていくのに対し、ケアは受動的で患者に寄り添いながら常に待ちの状態でいる、と言えるだろう。
著者は精神科デイケアと呼ばれるところにいたが、さまざまな精神障害の人がいたらしい。そのなかで働くのだが、デイケアは時間的に「デイケア10割、カウンセリング7割」と計算するとおかしいがこのような働き方が必要になるとのこと。
ただ、デイケアは自由時間が多く、何かを「する」のではなく、座って「いる」ことに意味がある。
そこでこの言葉が出てくる。
「居るのはつらいよ」
ここからの著者の苦悩は本書を読んで知ってほしい。翻弄されることにより苦悩する、と言ったほうが正しいかもしれない。
セラピーは線でデイケアは円

幕間口上ということでこの物語には途中、著者の解説が入る。一部引用してみよう。
僕らは二つの時間を生きている。一つは線的時間で、それは僕らに物語をもたらす。もう一つは円環的時間で、それは僕らに日常をもたらす。
「線は人生に関わり、円は生活に関わる」
遠藤周作ならそう言うんじゃないかな。
セラピーは線的に流れているから物語としては書きやすいとあるが、デイケアは円であり、その中に線もあるため、複雑とのこと。
セラピーは時間が流れるが、デイケアは同じところを繰り返しているイメージで、毎日が同じように過ぎていく。
ここで感じたのは、私たちの人生はどちらの要素もあるのだろう、ということ。
基本的には線的に過去から未来へと流れるが、途中、立ち止まり、円を描き、自分を見つめ直すような時期があるのではないか、と思った。
一直線で人生を駆け抜けている人もいるだろう。パッと浮かんだのは長嶋茂雄だ。子どもの頃から野球一筋、高校大学を経て巨人へ入団し、スーパースターとなり、今は生ける伝説となった。
しかし、長島茂雄のような存在は稀有で、多くの人は線的な要素と円環的な要素を織り交ぜて人生が構成されている。
だから、私たちにもデイケアのような毎日を繰り返して、そこで心を癒すような時間が必要なのだと思う。
一般人が直線的に駆け抜けようとすれば、必ず人生の瑕疵が見つかり、立ち止まざるを得なくなる。それはそれでいいのだと思う。
円環的な人生を謳歌するというのもある種人生の醍醐味であり、人生に必要な因子なのだろう。
少し話がズレたが、著者はデイケアは円環的であるためうまく描けていないところがある、と言っている。
それはデイケアのせいだとしているが、これはただの謙遜で、本書を読めばその素晴らしい口上に舌を巻くことだろう。
嘘と退屈未満のデイケア、遊びとは

デイケアのプログラムでは実際、遊びが多いとのこと。それは暇つぶしではなく治療的仕掛けなのだそうだ。
そんななか、遊びについての記述があったので引用しよう。
遊びは中間で起こるのだ。主観と客観のあわい、想像と現実のあわい。子どもと母親のあわい。遊びは自己と他者が重なるところで行われる。それはすなわち、人は誰かに依存して、身を預けることができたときに、遊ぶことができるということを意味している。
通常の社会生活においても、この「誰かに依存して身を預ける」という行為は非常に重要なのではないだろうか。
人の輪に入れないということは、お高く止まっているようで実は人に身を預けることができない、ということを指している。
それが悪いということではない。したくてもできないのだ。誰かに依存するというのはある意味恐怖が伴う。それができずに苦しみたくないから、人の輪に入らなくても大丈夫とつよがるしかないのだ。
これは子どもで見ればすぐにわかるだろう。子どもたちが遊んでいてもその輪に入れず、うじうじしている子どもがいるだろう。
そのとき親は、早く輪に入るように促すが、それで輪に入れれば苦労はしないのだ。それができないから困っているのだ。
しかもそういう性格になったのは親に原因がある場合が多い。ただ強要すればいいというわけではないのだ。
いかに上手に輪に入れるか、いかに上手に甘えさせるか、それが受け入れる側に必要なスキルなのだと思う。
居るのはつらいよ、おわりに
最後に「あとがき」から著者の思いを引用して締めるとしよう。
これはケアしたりされたりしながら生きている人たちについてのお話だ。あるいは、ケアしたりされたりする場所についてのお話だ。そう、それは「みんな」の話だと思うのだ。
職場、学校、施設、家庭、あるいはさまざまなコミュニティでの「居る」を支えるものと、「居る」を損なうものをめぐって、本書は書かれた。
ここにあるように、今あなたがいる場所で、「居る」について考えるちょうどいい機会だと思う。
「居る」について悩みがあるなら本書を読んで何かヒントを見つけてほしい。
