
今回はイチロー選手の引退会見のインタビューを観た感想を述べたいと思う。
さみしいことだが、これはいつか来ることであり、それがとうとう来たということだ。
私たちは彼から何を学ぶべきだろうか。引退会見を通して考えてみよう。
イチロー引退会見での子どもたちへの言葉

野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。
子どもたちへのメッセージを求められたとき、大概の野球選手は野球選手を目指している子どもに対してメッセージを発することが多い。
だがイチロ―選手は違う。それがイチロ―選手のやさしさなのだと思う。
野球だけでがすべてではない。人それぞれやりたいこと、得意なこと、好きなことは異なる。
イチローに憧れて野球をはじめることも否定しないし、イチローを知らなくて他のことに熱中することも肯定する。
いつも感じることだが、イチロー選手の視野は広く、常に自分だけでなく世界を俯瞰で見ているような立ち位置にいるように感じる。
それはあたかも神のように。
そんなことを言ったらイチロー選手は否定するだろうし、怒るかもしれないが、やはり凡人と比較すれば視点が違うことはあきらかである。
誰がイチロー選手のようになれるだろうか。
いや、誰もなれないだろう。
あの境地まで到達するのはイチロー選手以外ではまず無理だろう。
子どもたちはイチロー選手のようになることを目指すのではなく、イチロー選手のような考え方を持って、野球だけでなく色々な世界でがんばってほしいと思う。
イチロー引退会見、今後のこと


ただ、たぶん明日もトレーニングをしていますよ。それは変わらないでしょうね。
これがプロなのだと思った。
言葉通り、イチロー選手は引退後もトレーニングや練習を続けるだろう。
このように日常に組み込む、ということが遠くまで行く唯一の方法なのだ。
息をするように、何かをする。あなたはそんなことができているだろうか。
その日の気分や機嫌でやるやらないを決めているようでは一流にはなれないのだ。
何があろうとも、雨が降ろうとも槍が降ろうとも毎日同じことを淡々と続ける。
それが人間が大きなことを成し遂げるための唯一の方法なのだ。
あなたも何かを目指しているのなら、息をするように何かに没頭することを意識しよう。
引退後のことで、指導者のことを聞かれた際のイチロー選手の答えは以下の通り。
このあたりもイチロー選手らしい言葉である。
監督は絶対無理ですよ。これは絶対がつきますよ。人望がない
イチロー引退会見でのあなたのへのメッセージ


次の言葉は、「イチロー選手の生き様でファンの方に伝わっていたらうれしいということはありますか」と聞かれたときの答えだ。
すべての人にとって、生きる指標となるべく言葉なので長めに引用する。
生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方という風に考えれば、先ほども話したように、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまでも測りは自分の中にある。
それで自分なりに測りを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくっていうことを繰り返していく。
するといつの日か「こんな自分になっているんだ」ということがある。だから少しずつの積み重ね、それでしか、自分を超えていけないと思うんですよね。
一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、まあ、地道に、進むしかない。
後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあるが、でも自分がやると決めたことを信じてやっていく。それが正解とは限らないんですよね。
間違ったことを続けてしまっていることもある。
でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというかそんな気がしている
これは野球に限らず、誰の人生にもあてはまることであり、参考になる言葉であろう。
人より頑張ろうとするからすぐに辛くなるのだろう。自分の中の測りを見ながら、自分の限界を追求していくしか人が成長する方法はないのだ。
人を見て自分の限界を超えて頑張ろうとすれば、必ず破綻する。
であるなら、最初から自分自身に問いかけ、常に限界を求めて生きるほうが着実に成長できる。
ただ、この場合、自分の限界の見極めが重要になることは間違いない。
あれだけの成績を残した人がこう言っているのだ。
ならば我々凡人も自分の測りを持ち、日々努力することでいつの間にか遠くに来ている、ということもあり得ないことではないのだ。
イチロー引退会見、最後に
イチロー選手は最後、孤独について語った。その部分を引用して締めるとしよう。
イチロー選手らしく、最後は照れ隠しのように言葉を添えて終わりにしている。
孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。
お腹すいた。しまったね、最後。
引退はするがこれからもなんらかの形で野球に関わるだろうし、メディアがほうっておかないだろう。
ゆえにこれからも鈴木一朗を見ない日はないだろう。
