【考察】「自分を表現するのが怖い」「人に考えや思いを伝えることが苦手」そんな人は呪縛を解き放ち自己肯定をするべきという話。

自分を信じろ
 
パンダ
自分を表現するのが怖いって?

突然だが、自分の考えを表現することが怖いと思うことはないだろうか?

「え? 何を言ってるの? 自分の思ってることなんか全部出せばいいじゃん」
と思った人にはこの記事は向かないだろう。

「そうそう。自分の考えていることを伝えるのって、なんか怖いし、恥ずかしい」
そう思った人は先を読み進めよう。きっとタメになると思う。

世の中には表現上手と表現下手がいる

話し合いをする人たち

世の中には自分が考えていることを人に伝えるのが上手な人とそれが下手な人がいる。
表現上手(ひょうげんじょうず)と表現下手(ひょうげんべた)と区分けするとしよう。

おそらく表現上手の人から表現下手の人の気持ちはわからないだろう。
ただ表現するだけだろ?と思うだけだからだ。

表現下手の人からすれば表現上手の人をうらやましく思う反面、よくも何も気にせず自分の考えをおおっぴらにできるな、という卑下の思いがある。

世の中にはこのふたつの人種がいるため、話がかみ合わないことが多い。
一方はとにかく表現しろ、と言う。もう一方は、そもそも表現に対して怖れを抱いている。
この差は簡単には埋まらない。

表現下手の人が全員、表現をするようになったからと言って解決するわけではない。
基本的に表現に怖れを抱いているため、表現しようという意志は長続きしないのだ。
だって怖いから。

動物は恐怖を感じるものから遠ざかろうとする習性がある。それは人間も同じ。

高所恐怖症の人を無理やり高いところに連れて行っても治らないし、閉所恐怖症の人を狭いところに閉じ込めたところで更に恐怖への念が強くなるだけだ。

まずは、双方が双方の存在を認めることが必要だと思う。とにかく動け、〇〇しろ、というのはマウンティングであって表現上手と表現下手の溝を埋めることにはつながらないのだ。

表現を怖れたり思いを伝えることが苦手な人は呪縛にかかっている

顔を覆う子ども
パンダ
天使と悪魔が頭の中で口論するんだよな。

では、表現下手の人はなぜ表現することに対して怖れを抱くのだろうか。

発言する場合で考えてみると、表現下手がまず発言しようとしたとき、心の中でストップがかかる。「おい、それは本当に言っていいことなのか?」と。

ある種、呪縛をかけられているような感覚だ。

表現上手でも言っていいかどうかは頭の中で判断しているだろうが、そこに恐怖という感情はないだろう。表現下手は必ずそこに恐怖という感情が居座っているのだ。

表現上手にはわからない感覚だろう。思ったなら言えばいいと言うだろう。

しかし、そうは簡単にいかないのだ。漫画でよく、天使と悪魔が出てきて、「悪魔:やっちゃえよ」「天使:ダメよ」みたいなやりとりがあるが、まさにあれなのだ。

悪魔が頭の中に出てきて、恐怖を植え付け発言できなくするようにするのだ。いや、もしかしたら天使なのかもしれないが。

また、手帳に自分の考えを書こうとするとき、恥ずかしいという思いがよぎるのだ。この感覚がわかる人はいるだろうか。

何に対して恥ずかしいのか。
誰かに手帳を見られることがあるかもしれないと思うからだろうか。
それとも自分が死んだ後、家族に見られる可能性があるからだろうか。
それとも自分自身でその表現を客観的に受け止めなくてはいけないことに恥ずかしさを覚えるだろうからだろうか。

おそらくどれも正解なのだと思う。あらゆることを無意味に心配してしまうのが、表現下手が表現下手である素因なのだと思う。

これはトラウマと呼ぶべきなのだろうか。

過去、小さいころに自分の発言や表現を否定された経験から、自分の心を閉ざしてしまったのだろうか。

それとも持って生まれた性格や資質なのだろうか。

これは人それぞれなのだろう。

表現上手の人が小さいころにあれこれ批判されていなかったかと言えば、そうではないだろう。批判されたがそれでも自分を表現することを選んだ、と言える。

また、表現上手な人はある意味鈍感でまったく人からの批判を良い意味で聞いていない、そういったパターンもあるだろう。

では、表現下手な人が批判を一切されなかったら、大きくなって表現上手になるかと言ったら、そこはクエスチョンマークがつくだろう。どちらにも転ぶだろうが、おそらく表現下手でいる人のほうが多いと予想できる。

そうなるとやはり、育つ環境ではなく持って生まれた性格や資質、と言えるのかもしれない。

表現下手が表現しているときは、心で恐怖を押し殺しながら表現しているのだ。表現上手の人はあれこれ表現下手を責めるのではなく、慈愛の目で見てほしいものだ。

人に自分の思いや考えを伝えられるようになるには自己肯定が必要

顔や手に七色の絵の具をつけた子ども
パンダ
表現が下手なのは治らないし変われないんじゃね。

表現下手も表現下手のままでいいとは思っていない。どうにかしてうまく人に伝えらえれるように、なんとか恐怖を感じないようにしたいと思っているのだ。

そのままでいいと思っている人はほとんどいないのでは、と思っている。

何か解決策はないだろうか。

ここで表現上手の人は、「とにかく表現してみろ」「自分を出せ」「恥ずかしがるな」と正論を言うのだが、それはもうわかっていることなのだ。だからそれでは表現下手の人に言葉は届かない。

私からは、小さく表現することから始めてみる、と提案したい。

独り言でもいい、手帳に書き込むでもいい、頭の中で表現している自分をイメージするだけでもいい、まずはこういったすぐできることから始めてみよう。

そして大事なのは、毎日行うことだ。たまに表現をしてみたところで、それは何の力も持たない。小さなことでも毎日毎日行うことで習慣化し、自分を変えることができるのだ。

例えば極端な話、1日1回腕立て伏せをする人と、1年に1回だけ腕立て伏せをする人、どちらが筋力がつくだろうか。答えは明白である。

まずはできることをはじめて、それを毎日続ける、ということを実践してみよう。

そこからもう一段階進めそうなら、SNSをやるといい。匿名でできるツイッターがちょうどいいだろう。写真を撮ることが好きならインスタグラムでもいい。

自分が思ったことや感じたことを書き込んだり、自分が見て心を動かされたものを写真にとってアップする、これをやってみよう。

自分の投稿に対して誰かからリアクションがあれば、うれしいはずだ。厳しい意見や心ない意見にまた恐怖を感じることがあるかもしれない。

だが匿名だから大丈夫。嫌なら別にアカウントをつくりイチからはじめればいい。

SNSも大事なのは日々更新をしていくということだ。

そうやって小さな表現を繰り返していくといつか気付くはずだ。

・あ、表現するって怖いことじゃなかったんだ。
・表現することっておもしろい。
・人って他人に興味がないんだ。そういえば自分も他人にそんなに興味なかった。

人は人のことを大して見ていないし、気にもしていない。自分のことを気にしているのは自分だけなのだ。

だから、自分を表現することを怖れず、色々と発信していこう。

それにより、表現慣れ、批判慣れ、していくもの。

そうすれば、あなたは「自己肯定」ができ、自分自身を愛せるようになるはずだ。

人間が幸せになるには、「自己肯定」は欠かせない。誰よりも自分を見ているのはあなただ。あなたが自分を愛し、「自己肯定」することがこの世界で幸せになるたったひとつの方法なのだ。

パンダ
自己肯定できさえすれば幸せ。それすらできないヤツはどれだけ裕福でも幸せにはなれないってことだ。

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2018.11.19