堀江貴文×落合陽一、この組み合わせはヤバイ。
今回紹介する本はこちら。
・ふたりの仕事へのスタンスを知れる。
・未来に前向きになれる。
本書では、10年後になくなる可能性のある仕事が数十種類も紹介されている。
おそらくあなたの仕事も含まれているだろう。
Contents
食べていくための安い仕事にしがみつくな
次の言葉は、私たち一般人は本気で考える必要があるんじゃないかと思う。
産業革命以降、機械による自動化によって、人は必ずしも生きるために働く必要がなくなったはずだ。それにもかかわらず、安い仕事に文句を言いながら渋々働いている人が大勢いることが不思議でならない。実は、「食べていくために」安い仕事で我慢している人の存在がなくならない以上、労働単価が上がることはない。
安い給料でも働ければいいという状態になってしまっているから、労働単価は上がらないし、いつまでも辛い仕事をすることになる。悪循環が続いているということだ。
どこかでもうこの仕事やーめた、とみんなが一斉に言ったとしたら、その仕事は単価が一気に上がるだろう。
そのいい例が牛丼チェーンだ。
ワンオペと言われる、深夜時間帯のひとりでの勤務、これらが問題になりその牛丼チェーンは叩かれた。
その結果人手不足に陥り、ワンオペをやめた上に時給を上げざるを得なくなった。
そうしないと人が集まらず、お店が営業できないからだ。
他の仕事でもワンオペと呼ばれる状態はあるだろうが、考えてみると恐ろしい。
客が常時いたら、トイレにも行けない。体調悪くても休むこともできない。これじゃただの奴隷だ。
ただ、現実問題として、今の仕事が安い給料だとしてもすぐに辞めるというのは難しいはず。
新しい仕事も見つかるかどうかわからない。その新しい仕事の労働単価が高いかどうかも……。
解決策としては、安い仕事をするのはいいが、それにしがみつくことはやめ、稼ぐための別の方法を探す、準備する、ということが大事になるだろう。
なぜ本当にやりたい仕事で人生を満たそうとしないのか
これは私に言ってるのかな。そう思った人は多いかもしれない。
きっと彼らの言い訳はこうだ。「家族を養わなきゃいけない」「やりたいことも大事だが、世間体も大事」「一歩踏み出すのが怖い」。悪いが、僕にはそんな中途半端で打ち込む「副業」とやらのクオリティなんて、まったく信用できない。「そこには、ピュアな情念や社会的な使命感なんて存在しないだろう」と思えてならない。そんな事業を事業を誰が応援するだろうか。
これは本業を持ちつつ、副業をやろうとしている人への言葉だ。
ようは、食いっぱぐれないよう本業で稼ぎ、あいた時間を副業に使うというのではうまくいかないし、誰も助けてくれないよ、ということ。
本当にやりたいことだけをやったら一体どうなるのか? 途端に食べていくことができなくなるのか。
それはどうなるかわからないが、常人にとって食べていけなくなる恐怖はとてつもなく大きい。
それを振り払って、好きなことだけで生きていくには、勇気が必要だ。
本田選手の仕事の話
プロサッカー選手でありながら、サッカースクールの運営や、サッカークラブのオーナーになっている本田圭佑選手のことが書かれている。
本田選手は、ズバリ本業として投資を行なっている。選手と経営者を二足のわらじで行なうと、結果を出さないといけないというプレッシャーが人一倍かかるサッカー選手としての成績が落ちたら、「経営をやっているせいだろ」と口々に言われるだろう。現役中にビジネスに打ち込むことから生まれる批判の声が絶えないのは想像に難くない。アスリートは体が資本であり、疲労の蓄積や練習量の減少がパフォーマンスに影響する可能性があるからだ。僕はあえてそんな道を選択した彼に、称賛を送りたい。自分が好きなことにリスクを顧みず挑戦しているからだ。彼には、「ピュアな情熱と社会的な使命感」が感じられる。
二足のわらじってだいたい批判されるものだ。
それって私が思うに、ただ単に嫉妬しているんじゃないかと思う。
「サッカーもできて、経営もできるのかよ、俺にはそんな才能ねぇよ。ずりーな」
こんな考えがあるから、あれこれ手を出して才能を発揮している人たちは批判されるのではないかと。
あとは、記事にしやすいのだろう。仮にどちらかがうまくいなかったら、それは「わかりやすい失敗」なんだと思う。
誰が見ても批判しやすい的ではある。しかもそんな記事は、嫉妬する人たちに読まれやすい。だから売れて金になる。
人の足をひっぱることで食っていこうとしている構図が見える。
純粋に応援する文化や空気ができあがれば、日本はもっと住みやすいし、もっと世界に向けたイノベーションを起こすことができると思う。

ピュアな情熱に導かれた自分の人生を生きよ
ピュアな情熱、こんな言葉がこの本がから出てくるとは思いもしなかった。
著者のふたりからは想像できないし、なんだか似合わない言葉だ。
しかし、ふたりは同じような考えを持っている。それは、自分の好きなことをするべき、ということ。
たとえば、僕はゲームばかりやっている子には将来性があると思う。だって、一生の中で、サルみたいに熱中できる経験なんて、そうそうない。僕だって、中学時代はまごうことなき「プログラミングの専門バカ」だった。あの頃は、持てる時間のすべてをプログラミングに投入していた。成績の低下に怒り狂った親にパソコンを捨てられたこともあったが、すぐさまゴミ箱から取り戻した。あの当時、僕ほどパソコンにのめりこんでいた子どもはいなかったのではないかと思う。
結局世の中を動かすのは、受験のための勉強をした人ではなく、何かにとことん没頭した人なのだ。
子どものそういった可能性はほとんどの親が刈り取ってしまっているのが現状だ。
だから、世の中は平均的で平均点を求めるような人ばかりになってしまっているのだろう。
子どもが夢中になっていることを奪うことは、子どもの成長や可能性を刈り取ること。
これをすべての親が理解することで、今の子どもたちがすくすくと育っていくことだろう。
そうは言っても、子どもが何時間もゲームばかりしていたら、それを見て見ぬ振りをすることができるだろうか。
子どもがやりたいと言ったことをどこまで見守ってあげられるか、それが親の忍耐の見せ所だ。
とにかく今の自分を信じればいい
かくいう僕は、自分の「いいじゃん」という感覚を信じて行動するようにしている。そして、その感覚に添った自分の価値判断に常に責任を持ち続けてきた。その結果がどうであれ、決して誰かのせいにしたりはしない。僕の判断を磨いてきたものがあるとすれば、その繰り返しではないかと思う。
とにかくここで言っていることは、「やってみなきゃわかんないだろ」ということ。
どこにもやる前からあれこれナンクセつける人がいるが、そういった人間がまわりにいると進むものも進まないし、何も得はない。
私自身はそういったグチグチ言っている人のことは基本無視して仕事を進める。
現状維持でいいと思っているとかは最悪。
時代は常に先に進んでいるのに、現状維持をしていたら、それは実質後退しているのと同じこと。
それに気づかなければその人はただ老いていくのみ。
もうひとつ引用を。
よく若い人たちから「年金はもらえるんでしょうか」「今後の日本はどうなっていくのしょうか」と質問を受けるが、すべての答えは「知らない」だ。みんな問いが間違っている。あなたが問うべき対象は未来ではなく他でもない「自分」だ。
年金がもらえるかどうかは心配だが、それを気にしたところでどうにもならない。
死ぬほど気になるなら年金を賄うくらいの貯金をすればいいし、投資で増やすのでもいい。
何かしら行動を起こせばいいのだ。
だが、こういった変な心配をする人というのは、そういった行動はほぼしないものだ。
ただ、現状の心配事や不安を口にしたいだけ。
こういった人は他のことでも文句を言っているだろうし、成長することはない。
最後に
最後に落合陽一氏が好きだという、IBMの初代社長トーマス・J・ワトソンの言葉をご紹介。
不確かな持論を持つ思想家の道を辿れ。自らの考えを論争の脅威にさらけ出せ。率直に意見を述べ、変わり者のレッテルよりも、従順という汚名を恐れよ。そして、自分にとって重要に見える問題のために、立ち上がり、どんな困難にも立ち向かえ
