
今回の書評は『社会人大学人見知り学部卒業見込 若林正恭著』である。
ご存知お笑いコンビ「オードリー」のツッコミ、若林氏の著書だ。
↓こちらも氏の著書である。
若林氏は、普通の人とはちがう視点で物事をナナメから見ているような文章を書く。
その独特な文体は価値のあるものだと思う。
こういった独特な文才を持つ人は少なく、貴重な存在だと思う。
将来何か賞をとるのではないか、そう思わせる何かが氏にはある。
幸せになる◯◯のルール

「自分を変える本」を読んだ後は、意識しているから3日ぐらいはその形になるが、日常に晒され続けるとすぐ元の自分の形に戻る。
ここでは自己啓発本を読んだときの感想を氏が述べているのだが、このような人は多いのでないだろうか。
自己啓発本を読んでいるときは、その文章に感動し、自分を改めようと思うものだが、読んでからしばらくたつとそのことをすっかり忘れてしまっているものだ。
ただ、一般的には読んでも行動しないのであれば意味がない、というふうに言われれるが、私は少しちがう考えを持っている。
読むことでそのとき心が動かされるのであれば、それはそれで意味があると思うのだ。
例えば映画を観たとして、観ているときは心打たれて涙を流したとしても、しばらくすればそのことは忘れるか記憶が薄れていくものだ。
それを意味がないと言うだろうか。
映画で観たことを何か現実世界で活かさないと意味がないのだろうか。
そうではないだろう。
本も同じだと思う。
読んだことで心が動かされたのならそれだけで意味があるのだ。
まったく心が動かないような生き方をしていると、人として成長しない。
本でも映画でも、心を動かし、心に刺激を与えることが、ゆくゆく自分の人生に生きてくるのだ。
少し話は逸れたが、やはり若林氏の見方はナナメから見ている。
今、幸せですか?

願いを叶えれば常に幸福を感じられると夢想きていた20代。だが、今も大きな仕事の出番前には緊張して憂鬱な気持ちになる。
願いを叶えるためにがんばってきたのに、願いを叶えてもまた別のことに追われ、結局幸せがどこにあるのかわからなくなるという人は殊の外多いと思う。
そもそも人間は満足できない生き物であるため何かが叶ったからと言ってそれでいいとはならないのだ。
だが人は、今のこの願いさえ叶えば幸せになれると思って生きている。
なぜなのか。
おそらく一つひとつ壁を越えていかなければ生きていけないからだ。
壁はあと一つとわかっていればがんばれるが、壁は死ぬまでにあと100個あると言われたら、やる気をなくすだろう。
だからあと一つ越えれば幸せになれると人間は思い込むようにプログラムされているのだ。
だから、幸せになるには、壁の前にいるときも壁を登っているときも壁のてっぺんに立ったときも、いつの状態でも幸せと言える状態を作らなくてはいけないのだろう。
ネガティブモンスター

ゆったりとした時間はかえって奴らに付け入る隙を与える。何かに没頭して時間を圧縮して入る隙を与えないのだ。
脳は何もない状態が嫌いなのだ。
だから何も考えていない脳には負の感情が自然と湧いてきてしまう。
ポジティブな人は常に何か行動している。それだけのモチベーションがあるからだ。
ネガティブな人も常に行動すればいいのだが、ネガティブな人間にはそのモチベーションがないのだ。
常に行動を続けるほどモチベーションを保つことはできない。
ネガティブな人間は立ち止まってしまうのだ。
だから、その隙をついて負の感情が襲ってくる。
それゆえ、ネガティブはネガティブなままだ。
それが悪いわけではない。
立ち止まることで気付くこともある。
立ち止まれないポジティブ人間は失敗に突き進むこともあるわけだ。
だが、ネガティブ人間はポジティブ人間に憧れている。
悩みがなくていいなぁ、とうらやましいと思っているのだ。
社会人大学人見知り学部卒業見込、おわりに
おわりに、相方春日氏に対しての文を引用して締めるとしよう。
ぼくは、とことんマトモになって幸福だと思ってみたい。できるなら、上昇しつつ。
ぼくは春日に憧れている。
