
今回の書評は、『僕たちはどう伝えるか 人生を成功させるプレゼンの力 中田敦彦』だ。
皆さんご存知、オリエンタルラジオの中田氏の著書である。
中田氏はお笑い芸人としてだけでなく、音楽や書籍など多方面で活躍しているまさにエンターティナーだ。
本書は、伝えるということについて簡潔にわかりやすく解説した本となっている。
冒頭にも書かれているが、これは30分あれば読める本だ。
読書が苦手な方も苦労せずに読める本だ。
この本を読めば、思い通りの人生を生きていける。
中田流、「なにを伝えるか」より「どう伝えるか」

「なにを伝えるか」よりも、「どう伝えるか」のほうが圧倒的に大事なのだ。
まず人に何かを伝えようとするとき、人は伝える内容にこだわるだろう。
これは誰でもそうだ。
だがここでは「どう伝えるか」のほうが圧倒的に大事だと言っている。
伝えることはどんなことでもいい、というわけではない。
もちろん世の中のためになることを伝えるべきだ。
より良いのは、誰かのためになることを上手に伝える、ということだ。
そうでなければ悪に染まった考え方があったとして、それをどう伝えるかによっては、民衆に伝わってしまうということだ。
「どう伝えるか」というのは、正義であろうが悪であろうが、方法によっては簡単に相手に伝わってしまうという恐ろしさも秘めているのだ。
だから、私たちは伝え方にこだわる一方、誰かの巧みな伝え方には注意しなければならないとも言える。
そうでなれけば、自分が誰かにうまく伝えようとしていたと思ったら、実は自分が誰かの伝え方によって誘導されていた、なんてこともじゅうぶんあり得るのだ。
誰かにどうしても伝えたい、自分の思いをなんとしても実現したい、そういう思いに駆られたなら、必死に「どう伝えるか」を考えることが、あなたの道を切り開くことになるだろう。
中田流、原稿を読んではいけない。

政治家を思い浮かべてほしい。
彼らは記者発表のときや国会答弁のときに、よく原稿を読んでいるだろう。
そのとき、彼らは輝いているだろうか。いない。伝わらない。
これは非常にわかりやすい例ではないだろうか。
実際に国内外の政治家のスピーチを見れば一目瞭然である。
下を向いて原稿ばかり読んでいる日本の政治より、いつも前を向いて堂々と答弁している海外の政治家のほうが、より内容は伝わりやすいだろう。
プロンプターという原稿を写す機械があるため、前を向いているからと言って原稿を読んでいないとは言えないのだが、やはりパッと見の印象は大きく違う。
日本の国会で一切原稿を見ず、官僚からの資料も持たず、なんでも答えるような政治家が出てくれば、あっという間に人気を得て、総理大臣の椅子まで上り詰めるだろう。
今でその可能性があるのは、小泉進次郎くらいのものか。
これは私たち一般の企業に勤める勤め人にも言えることだ。
上司や部下から質問があった際、何か資料を見ないと答えられないのでは頼りにならないと思われたり、使えないと思われる。
そこで何も見ず、テキパキと答えるだけであなたの印象は大きく変わるし、周囲との差もつけられる。
勤め人は普段からどんな質問をされるのかを想定しておくべきだと思う。
あの上司ならこんなこと、この部下ならこんなこと、という具合に人に質問を想定しておくだけで、いざというときに咄嗟に対応できるものだ。
できるヤツ、そう思われたいなら、原稿やカンペは見てはいけない。
スタジオジブリの鈴木プロデューサーから言われたひとこと

「頑張らなくていいから。才能出して」
衝撃的だった。
頑張りますと言って怒られたのは初めてだった。
これはテレビの企画で、中田氏がスタジオジブリの手伝いをしているときのことだ。
中田氏が「頑張ります」と答えたら、鈴木氏の目の色が変わり、上の引用のようなことを言われたとのこと。
9割の人が「頑張ります」と答えただろう。
だがそれではダメなのだ。
鈴木氏は過程などどうでもいいのだろう。
要は結果なのだ。
努力はいいから、才能を出して結果を出せ、ということなのだ。
これは、「頑張ります」と言わせてくれる世界のほうが圧倒的に楽だ。
なんとなく頑張れば許してくれる雰囲気がどの企業の中にもある。
そのほうが上司は楽だし、そうやって頑張ったと言い訳を言える部下も楽なのだ。
しかし、鈴木氏はそれを許容しない。
とにかく才能を出せと言うのだ。
これはきっとつらいだろう。
おそらくジブリで働く人々は、才能を出すことができなければ去るしかないのでは、と推測する。
実際はわからないが、そうでなければあれだけの映画を世に出し続けることはできないはずだ。
次、あなたが誰かから何かを求められたとき、「頑張ります」と答えてはいけない。
次はこう答えるのだ。
「私に任せてください」と。
それがあなたを成長させる一歩になる。
