
今回は「かわいそう」という言葉について考えてみたいと思う。
例えば、全員に何かを配るとしよう。
しかし、数が足らずAさんだけもらえなかったとしよう。
そのときに近くにいた誰かがこう言う。
「Aさんだけもらえなくてかわいそう」
もちろん配る物にもよるし、状況にもよるが、こういったシチュエーションで「かわいそう」という言葉が多く出てくるのは、みなさんも経験があるだろう。
だがもらえなかったとしてもAさんは気にしていないかもしれない。
もともと欲しくなかったかもしれない。
そもそも大して気にしていないかもしれない。
それなのに勝手に人の気持ちを汲んで(汲んだ気になって)「かわいそう」というのは間違っているのだ。
もっとわかりやすい例で言えば、いじめだろう。
数人からいじめを受けているBくんがいたとしよう。
それを見た他の人が言う。
「Bくんがかわいそう」
傍からみればそれはかわいそうだろう。
だからと言ってそのかわいそうな状況を言葉で表す必要はないのだ。
かわいそうだと思うなら、まずは助けるべきなのだ。
かわいそうかどうかは本人が決めること。本人がどう思っていようと他人が勝手にかわいそうとレッテルを張ることで、その「かわいそう」は現実になるのだ。
意味がわかるだろうか。
要はAさんやBくんなどの状態にいる人は、他人から「かわいそう」などと思って欲しいと思ってはいないのだ。
あなたも同じような状況になったとき、「かわいそう」と思って欲しいと思っただろうか。
何を勝手に人の気持ちを代弁してるんだ、と思ったのではないだろうか。
人は「「かわいそう」などという言葉は一切望んでいないのだ。
それを知らずに「かわいそう」と口にする人間は、必ず自分のことを考えているということを知っておこう。
「かわいそう」と言うことで、ゆくゆく自分の利益になる、もしくは損失することを避けることにつながる場合が多い。
ある状況を見て相手に向かって「かわいそう」と言ったとしても、実は自分も同じ状況で自分の待遇や状況を改善して欲しいがために、「かわいそう」という言葉を使い、状況をコントロールしようしているのだ。
または、ある状況に陥っている人を見て、いつか自分もああなるかもしれない、それを回避するためにはこの人をかわいそうな人としておけば、ここで状況は改善され、将来の自分に被害が及ばないようにする、という考えの場合もある。
要は人間は自分がいちばんかわいい、そして自分がいちばんかわいそうなのだ。
だから「かわいそう」という言葉を連発する人には近づかないほうがいい、ということだ。
子どもを例にしてみよう。
子どもが何か理不尽な目にあったとする。
そこで誰かが言う。
「かわいそう」と。
そこで子どもは自分がかわいそうなことを知り、泣くのだ。
「かわいそう」と言ったあと子どもが泣いてしまった、そんな経験誰でもあるのではないか。
「かわいそう」と言われるまで子どもは泣かない。
それは自分のことをかわいそうと思ってはいないからだ。
子どもは大人以上に現実をまっすぐとらえている。
こういったこともあるんだ、ということを学んでいるのだ。
そんな学びの最中に、「かわいそう」などという大人は子どもの成長を邪魔するドリームキラーである。
言葉ひとつで子どもの成長を邪魔してしまうことがあるということを、知らない大人が多すぎる。
言葉は刃物よりも鋭いことをもっと認識すべきなのだ。
「かわいそう」という言葉は、上から下に投げかける言葉だ。
「かわいそう」と言った瞬間にその人は相手を下に見ていることになる。
自分より上に見ている人に「かわいそう」などと言うことはないはずだ。
だから安易に使う言葉ではないのだ。
・かわいそうかどうかは本人が決めること。
・かわいそうと言う人は、自分に置き換えてかわいそうと思っている。
・かわいそうという言葉は、上から下に投げかける言葉。
・かわいそうという言葉を多く使う人には近づくな。
自分自身がその言葉を安易に使っていないか、一度確認してみよう。
もし「かわいそう」と思うような状況になったら、「かわいそう」と相手を下げる言葉を使うのではなく、相手を上げる勇気づける言葉を使うようにしよう。
そうすることであなたは多くの仲間を得ることになるだろう。
逆に「かわいそう」という言葉ばかりを使っている人は、周囲から人がいなくなることだろう。
「かわいそう」という言葉を聞いたらこう思うようにしよう。
この人は「(自分が)かわいそう」と思っている、と。
