
今回の書評は『自分の時間を取り戻そう ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方 ちきりん』だ。
ちきりん氏と言えばブログだが、知らない人はいるのだろうかというほどブログ界では有名な人だ。
・すべてのことを「やるべきこと」と考え、全部やろうとしている。
・なにもかも完璧にやろうとしている。
本書がオススメの理由

本書は自分の時間を取り戻すための具体的な方法をちきりん流で語ったものである。
現代は、誰もが忙しいと感じていて、それでも無理に身体や心を酷使し、社会をまわしているような状態だ。
そのような状態では長くはもたないだろう。
そこで本書では、まず取り組むべき本質的な問題は「生産性を上げること」と断言している。
生産性というと仕事だけと思がちだが、家事や育児、趣味や勉強にいたるまであらゆることに生産性は必要とのこと。
本書をひと通り読めばわかるが、とにかく「生産性」にこだわった本なのだ。
ポップでやさしそうな表紙の印象から、「何か簡単に自分の時間を取り戻す方法を手にできるのでは?」と思った人は甘い。
本書はやさしくはない。
生産性を上げ、自分の時間を取り戻すには自分次第であるということを思い知らされるだろう。
だからまずは出来そうなところから取り組んでみると良いだろう。
いきなり全部意識しようと思っても、まず無理である。
少しずつ改善して徐々に徐々に自分の時間を取り戻すイメージが良いと思う。
学校教育がダメダメな理由

正確に言えば私の主張は「学校での学びは、学びの生産性が他の選択肢に比べてとても低い。だから無理して行く必要はない」というものです。
ここでも生産性の話になるが、ちきりん氏の主張は引用の通りだが、ここで反論してくる人たちの多くが「学校教育の価値はゼロより上である」という意見なのだということ。
要は反論がズレているということだ。
もっと生産性が高くなる教育はあるのではないか、という主張に対し、いやいや自分はこんなことを学校で学んだから学校は必要だ、と生産性とは別の論点へすりかえて反論してくる人がいるのだ。
これは意識的に論点をずらしてくる人もいれば、無意識に論点がズレている人もいるから厄介なのだ。
意識的に論点をずらす人はごくわずか。ほとんどが自分でもわかっていないでズレた反論をしてくる。
だから余計厄介なのだ。
論点がズレていることをわかっていないで、反論し、怒りをあらわにするから、こちら側としては成す術がないということは往往にしてある。
簡単に言えば話の通じない人、ということだ。
話の通じない人との会話など生産性という言葉からいちばん遠いところにある行為だろう。
無駄だからやめたいと思っても、それすらも許されなかったりする。
例えば、AかBか聞いているのに、私はCだと思う、とか、まったくもって話にならない返答をしてくるのは勘弁してほしい。
話の通じない人たちはまず自覚を持ってほしいと心から思う。
グローバル企業が税金を払いたがらないワケ

彼ら(グローバル企業)が税金をできるだけ圧縮したいと考えるその根底には、「自分たちのほうが国家組織よりもお金の使い方に関する生産性が高い」という自負があるのかもしれないと思えるのです。
アマゾンやアップル、グーグルなど巨大なグローバル企業は、税率の安い国で税金を納めることで節税をしているが、なぜそこまでして税金を払いたくないかという点について、著者は上の引用のように考えている。
実際どうだかはわからない。本当にただ純粋に利益を求めているだけかもしれない。
ただ会社を大きくすることだけが目的かもしれない。
だが、著者の言うように国家よりもうまくお金を使えて、より世の中に貢献する自信があるのかもしれない。
実際、日本でよくある、官公庁が取り組んだビジネスは失敗に終わることが多いということもあることから、民間のほうがお金をうまく使えるのは間違いない。
なかにはビジネス感覚の優れた公務員がいるかもしれないが、そういった人は遅かれ早かれ民間に移っているだろう。
グーグルの検索機能により世界は一変した。便利さが飛躍的に向上した。
これをどこかの政府ができたかどうかと考えれば、その答えは明白だろう。
もちろん公務員の人たちが行なう仕事も必要だろう。
だが生産性という観点から見れば民間のほうが圧倒的に生産性は高いのだ。
私が思うにこれは仕事の質の問題だと思う。
公務員は守りに長けている、民間は攻めに長けている、というふうに言い換えられると思う。
だが、急に公務員が攻撃にまわってもうまくいくはずがない。
民間が急に守りに入ったら衰退していくことは目に見えている。
攻守がそろってうまく歯車がまわるからこそ、社会や経済が円滑にまわっていくのだと思う。
ただひとつ言っておくが、グローバル企業はもっとしっかり税金を納めるべき、とは思っている。
1日の総労働時間を制限する

「自分は何時まで働いても大丈夫」と思っていると、生産性が上がらないまま年をとり、子どもを育てながら働いている人が子育てを終えたときには、仕事のスキルに大きな差がついてしまいます。
これは結構恐ろしいことが書いてあると思う。
一生懸命がんばっていたつもりが、実はそのあいだに大きな差がついていたということだ。
これはみんなが気付いていないだけで、ありふれた事例なのだと思う。
やはり人々の仕事の仕方を見ていると、最初から残業してもいいと思っている人と定時で帰ろうと思っている人は、仕事の質が違う。
定時に帰ろうと思っている人はちょっとしたことでも工夫をして効率を上げようとするが、最初から残業することを考えている人はとにかくペースが遅い。
無駄話の時間が多かったり、やたらと休憩が長かったり、まったく生産性が高いとは言えない働き方をしている。
結果、仕事量で見ると働いている時間が短い定時組のほうが残業組より多くなるのだ。
定時組はあれこれ工夫して効率化できているから仕事を増やしても対応できるのだが、残業組はまったく改善が進まないため一向に仕事量は増やせない。
これでは能力に差がつくのは当たり前である。
あなたはどちら側だろうか。
残業するのが悪いとは思わないし、定時で帰るのが絶対的な正義だとも思わないが、生産性をより高める環境に自分の身を置くことが重要なのだ。
さいごに
おわりに、「さいごに」から著者の思いを引用して締めるとしよう。
やりたいことがすべてできる人生を手に入れてほしい。
