
今回の書評は「学校は行かなくてもいい」である。
現在、不登校の子どもは13万人いるらしい。
著者の小幡和輝氏は、実際に学校に行かなくなり、約10年間の不登校を経験した人だ。
ツイートを紹介する。
改めて本当にありがとうございました。『みたよー!』って連絡がいっぱいきて嬉しかった。
最後の1枚は不登校時代の恩師です。ちょっとは恩返しできたかな。
まだまだがんばるぞ。応援よろしくお願いします!#不登校から高校生社長へhttps://t.co/0O0kMxasXr pic.twitter.com/nKOfD8zX54
— 小幡和輝@祝!著書1万部📚 (@nagomiobata) 2017年12月13日
それと、「はじめに」からこの本を書いた著者の思いを引用しよう。
保護者の皆さんや学校の先生方は、「学校に行かない」ことを「逃げてる」と感じるんじゃないかと思います。そこには「卑怯だ」という感情が含まれると思うけれど、僕はそうじゃないと思っています。誰もが何の疑問もなく行っている学校に、自らの意志で行かないということは、ものすごくエネルギーが必要なことだからです。
本書では、「学校に行かない」という選択をした僕が、「もし学校に行かないのであれば、これはやっておいたほうがいい」ということなどをまとめてみました。いわば「正しい不登校のやり方」です。
「なんとなく行きたくない」から始まる不登校

最初に保護者の方に言っておきたいのは、何がつらいって、それは自分が「不登校」であることではなくて、「学校に居場所がないこと」だ。僕もそうだったからわかる。それでも親は「学校に行け」と言うし、先生は「学校に来なさい」と言う。それは一体誰のための言葉なのだろうかと僕は思ってしまう。
親が「学校に行け」、先生が「学校に来い」というのは、親自身、先生自身のためなのだと思う。「あなたのために言ってるの」という常套句を言うがそれは嘘だ。
親や先生がいちばん気にしているのは、「世間体」だ。子どもを学校に行かせられない親、子どもを教育できない先生、そういうレッテルを貼られるのを避けるがために、子どもを学校に行かせようとするのだ。
いのいちばんに子どもの気持ちを考えていたら、そんなことは言わないはずだ。本当に子どもの気持ちに寄り添っているならこう言うはずだ。「逃げたっていいんだよ」と。
学校に行かなければならない理由はない

昔と違って、今はネット検索すればたいていのことは調べることができるし、スマホの使い方さえわかっていれば、大半の知識はなくても心配いらない。そういう時代なのだから、社会で生きて行くための最低レベルの知識を自宅学習で学んでおけば、わざわざ行きたくない学校に我慢して行く必要はないと僕は思う。
日本の教育は社会の変化とスピードに追いついていない。それに、そもそも勉強自体、何のために教えているのかわからないという声も聞く。そうしたことを考えると、学校教育の大半はあまり実用的でないと言ってもいいと思う。それが僕の答えだ。
おそらくこういう話が出ると、けしからんと言って怒り出す大人がいるかもしれないが、これは事実だ。今の時代、学ぼうと思えばどこでも学べるし、あえて学校に行く必要性というのもなくなってくるように思う。
けしからんという大人は、変化について行けないだけなのだ。自分が今まで経験したことだけを正義と捉え、それを次の世代にも強要する。これを老害と呼ぶのだろう。
今の子どもたちは、一昔前の子どもたちよりも、はるかに多い情報量の中で生きている。選択肢はたくさんある。だからこそ辛いことも多いのかもしれないが。
遠い未来かもしれないが、「学校」という形は跡形もなく消え去り、別の学ぶための形が存在しているかもしれない。
親にできることは機会を与え続けること

結局のところ、何が正解かなんて答えはなくて、ひとつだけ言えるとすれば、とにかく大人にできることは、「選択肢を出してあげること」だと思うんです。こういう生き方もあるよ、不登校になったけどこういう生き方をしている人がいるし、こういう成功をしている人もいる。いろんな人がいて、いろんな人生があって、だからあなたも自分の人生を生きなさい、ということをとにかく提示することしかないと。
親子も究極は他人ですよね。だからある程度のところで親もまた子離れをする必要があるし、子どももまた親離れをする必要がある。それぞれが、自分の人生を生きて下さいって感じですね。
「親子も究極は他人」、ここは大きくうなずけるところだ。結局どんなことを言っても、最終的にそれをどうするかは子ども次第だし、そこに強制力を持たせようとすると途端に親子関係は悪くなる。
子どもはあくまで他人で1人の大人、という立場で考えれば、親は早く子離れするほうが双方にとってプラスになるのではないだろうか。
もちろん、子どもがちゃんと育つよう見ている必要はもちろんある。そこを放棄したら本当に親ではなく他人だし、人間失格だ。
みんな不登校だった
本書では、実際に不登校だった人の話なども掲載されているので、気になる人はチェックしてほしい。
#不登校は不幸じゃない に関連して昔書いた記事をいくつかピックアップ。
うさぎとライオン https://t.co/h9WCGiDmkF
逃げるという選択肢 https://t.co/CKYFo6FYDg
逃げ場としての学校 https://t.co/eIVGo77yhs
— 家入一真 (@hbkr) 2018年8月19日
【吉藤オリィ】孤独な不登校の少年がモノ作りの先に見た夢https://t.co/3MaJgTQSNn #NewsPicks
— 吉藤オリィ(オリィ研究所 所長) (@origamicat) 2017年6月6日
元不登校生のインタビューサイト「Load」を運営する河合未緒さん。
女性ならではの視点は僕自身も勉強になりました。ライターとしてほかの対談の原稿も書いていただきました。https://t.co/AQhZFlk7FI
— 小幡和輝@祝!著書1万部📚 (@nagomiobata) 2018年6月22日
おわりに
著者からの保護者へのメッセージを紹介して締めようと思う。
一度、固定観念を捨ててみてください。子どもと向き合って学校のことを話してみてください。僕はずっと学校に行かなくてもいいとは思っていません。(中略)
人との出会いは、よくも悪くも人に影響を与えます。僕が小さい頃の人との出会いは最悪でした。でも、僕を変えてくれたのもまた人との出会いでした。環境を変えることで新しい可能性が開けるかもしれません。大丈夫です。温かく見守ってあげてください。
