
「安宅さん、この〝シン・ニホン〟、ちゃんと本にしたほうがいいです」
ある人からこう言われ、著者の安宅氏は執筆を決めることになる。
今回の書評は『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 安宅和人』だ。
このタイトルは、映画「シン・ゴジラ」からインスピレーションを受けたものだが、内容は数々のデータを駆使して繊細な分析を行うとともに今の日本を破壊的に批判し未来への提言をしている。
安宅氏を知りたい人は、この本↓もチェックしておこう。
本書を読めば、日本の過去現在未来を知ることができるだろう。
読んでいて思うのは、安宅氏は日本の現状を嘆くだけでなく、まだまだ希望はあるという立場で提言している。
メディアは日本のダメなところばかり取り上げ、あたかもこれから日本は衰退していくしかないというような論調を展開する。
しかし、そんな簡単にこれだけの経済国家がダメになるとは思えないし、それは誰も望んでいないことだ。
ならば、過去と現在は冷静に受け入れ、未来をどうしていくかを考えていくことが、日本人としてあるべき姿なのではないだろうか。
そういった意味で安宅氏はその先頭に立っていると言ってもいいだろう。
この国は妄想では負けない

1つ認識されていない日本の強みは、この国は3歳児ぐらいから、この妄想力を半ば英才教育している珍しい国だということだ。
攻殻機動隊しかり、鉄腕アトムしかり、はたまたドラえもんに出てくる「ほんやくコンニャク」、「お医者さんカバン」、「暗記パン」、「エラチューブ」しかり……。
意識しているしていないにかかわらず、世界でもこれほど妄想ドリブンな情操教育を行ってきた国は珍しい。
今はあらゆるテクノロジーが発明されており、あとはやるだけだと安宅氏は言う。
やってみてそれから学び修正するという「データ×AI社会」の基本サイクルをまわすべき、と。
頭の固くなってしまった今の日本にそれができるかどうかはわからない。
だがやらなければジリ貧だろう。
そこで安宅氏が言う日本の未来の勝ち筋を4つ紹介しよう。
・すべてをご破算にして明るくやり直す
・圧倒的なスピードで追いつき一気に変える
・若い人を信じ、託し、応援する
・不揃いな木を組み、強いものを作る
不揃いな木を組み、のところでは薬師寺を引き合いに出し、外側はちゃんと整っているが内側は不揃いな木ばかりということが紹介されている。
しかし不揃いであっても建物はちゃんと支えられているとのことだ。
それぞれの素材の良さを生かし、それで全体を支える。
それを日本全体で行なうイメージがあると日本の再建はうまくいくのかもしれない。
日本人はアシンメトリーから美を生み出す世界的にまれな力を伝統的に持っている、とのこと。
このあたりが日本の侘び寂びや繊細さにつながるところなのだろう。
こういう話を聞くと、日本人であることを誇らしく思えるのは自分だけだろうか。
おそらく他にも誇らしく思える事柄はたくさんあるはず。日本に住んでいるのだから、日本をより愛せるよう知識を持つべきだとも思う。
またこの4つのなかで私が大事だと思うのは、若い人を信じ託す、という点だ。
これが今の日本はできていないのだと思う。
ここを崩すことができないと日本が「シン・ニホン」になることは難しいと思う。
社会全体の仕組みを組み直し、若い世代の声が反映されるような社会にしなければならないだろう。
狭き門より入れ

狭き門より、入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そしてそこから入っていくものが多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見出すものは少ない。
(マタイによる福音書第7章)
これは安宅氏の座右の銘のひとつということ。
多くの人がこの「狭き門より入れ」という言葉を誤解しているようで、難しい門を通れということではなく、多くの人が群がる門は避けろ、ということらしい。
こんな言葉が2,000年も前から存在していたということだ。
流される、という言葉のほうがしっくり来るかもしれない。
人は他人と同じ行動をすることで安心するもの。
他人と違う行動をとるにはそれなりの勇気とリスクが伴う。
成功するには人と同じ行動ではダメなのだ。他人と同じでは先行者利益はない。
他人に流されず自分で目で見て肌で感じたものを信じ、逆を張るのだ。
これは現在であろうが過去であろうが、逆張りができた人が成功しているのだろう。
もちろん他人と同じ道に行きそこで突出したことにより成功した人もいるだろう。
逆張りをしたことにより失敗した人もいるだろう。
しかしこれからの時代、AIの進歩により多くの選択肢が生まれるはずだ。
蟻が群がるように全員が同じ方向へ進んでいては人類の進歩は遅れるだろう。
スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような、他人とはまったく異なる考え方を持った人が登場しなければならない。
登場するだけでなく、周囲が邪魔をしないということも重要だろう。
一般人がよってたかって天才を潰してしまっては、元も子もない。
運よく現れた天才は、ほっておくに限る。
集め過ぎと知り過ぎ

「なぜ知覚できる量が限られている若い人たちが新しいアイデアを出し変革を起こすことが多いのか」
「なぜ多くのことを知覚できるはずのシニアな人たちが新しいことに気づいて始めることが少ないのか」
これは安宅氏が高校生相手のセッションで受けた質問とのこと。
年齢を重ねれば重ねるほど、この言葉は重く受け止めなければならないのだと思う。
本書に図があるのだが、ポイントは集めた情報量と実質的な情報量には差があるということだ。
せっせと情報を集めても使える情報は限られる。
結果、情報収集に時間をかけ過ぎて、変革に時間を使えなくなるという現象が発生する。
人は情報を集めることでどこか安心してしまうところがある。
読書にも言えるが、ただ本を読むだけでは意味がない、というのと同じだ。
読書もある一定量を超えると、そこから先は似たような内容であることが多く、読書量と学びは決して比例しない。
このあたりで良いだろうというラインを見極めて、情報収集から行動に移すという切り替えが必要になるのだ。
これだけ情報量が増えるとその情報をどう活かすかが重要になる。
安宅氏はこう表現している。
「スポンジ力」より「気づく力」
昭和や平成の学歴社会ではひたすら詰め込むことが良しとされてきたかもしれないが、これからは誰もがある程度の情報を得られる状態であることから、それに対していかに気づくかが個性となるだろう。
それぞれ気づくことが異なって良いのだと思う。
それぞれの気づきを融合して使うことができれば、更に良いアイデアが生まれる可能性もある。
「思考は現実化する」の言い方で言えば、「マスターマインド」と表現できるだろう。
これからは多くの若い世代の気づく力が、日本の将来を決めると言っても過言ではない。
シン・ニホン、おわりに
最後にある一節を引用して締めるとしよう。
これからの未来は決して暗いものではない。私たち一人ひとりがどう行動するかで未来は変わるのだ。
本書を実際に読んでそういう決意を持つ人がひとりでも増えたら、日本の未来は明るいだろう。
「この国はスクラップ&ビルドでのし上がってきた。今度も立ち上がれる」
