
この本はお金のない世界を描いた、小説である。
その世界を通して、今我々がいる世界のことを見ると、「おかしい」と思うことが出てくる。
今のお金に対する常識を疑い、フラットな目線で考えてみることをおすすめする。
冒頭の一文を紹介しよう。ここから物語がはじまる。
ふと気がつくと、私は見知らぬ町に立っていた。
コーヒー代

見知らぬ街に迷い込んでしまった主人公の「私」。そこに「お待ちしておりました」と言って「紳士」が現れる。「私」は「紳士」とコーヒーを飲むことになる。
お金を払わず店を出る「紳士」に「私」は問いかける。
「あのう、いくらでした?」
紳士は驚いたような顔で私を見た。
「いくらって、何がですか?」
「え、あの、コーヒーですよ。今、飲んだ……」
「はあ?」
「いや、ちゃんと割ってくださいよ。悪いですよ」
紳士は不思議そうな顔をして言った。
「割るって何を割るんですか?」
私はイラッとした。やっぱりからかってるんだな。ああ、さっきちゃんとメニューを見ておけばよかった。私はきっぱり言った。
「コーヒー代ですよ。お金払いますから値段を教えてください!」
「おかね?……ねだん?なんですか、それ」
このやりとりでこの国の世界観はおわかりだろう。要は「お金」という概念がないのだ。喫茶店であればコーヒーを飲みたい客にコーヒーを提供しておわり、である。
すぐには理解できないだろう。それは主人公の「私」も同じである。「私」はこの「紳士」のことをこの店の偉いさんであると勘違いしているようだが。
ぜいたくって何ですか?

その後も「私」は書店やスーパーマーケットをまわるが、どこもお金を必要していないことに驚き、頭の中は真っ白になってしまった。
現実世界の私たちは、お金があることが当たり前だと思い、ある意味お金に振り回されながら生きている。それをこの本は真っ向から否定しているのだ。
本来、物々交換でこの世界は成り立つはずなのだ。交換するものをサービスとしてもいい。先にサービスを受けたら、あとでまた別のサービスを返すといったようなことだ。
お金があれば便利な面もあるが、それ以上にお金にまつわる負の部分は大きいものだ。
お金が存在しなければ、失わなくていい命というのはあったのではないだろうか。
また、ここではぜいたくについてふたりは会話をしている。
そこで「紳士」がいった言葉は次の通り。
「そんな、自分が必要ないほどのものを手に入れて何が面白いんですか。それに、そんなとりとめもない欲望を追っていたってきりがないでしょう」
物欲にまみれたあなたのことをいっているのかもしれない。
この物があふれた時代にいる我々が考えなくてはいけないことを、「紳士」は真に語っている。
おかしな国

「私」は元々の仕事である広告代理店の仕事をこの世界でもやってみることになった。そして「紳士」が紹介してくれたクライアントと会うことになる。
以下は、クライアントと会ったあとの会話である。
帰りのクルマの中で、私は隣に座っている同僚に話しかけた。
「クライアントにしては、ずいぶん丁寧な人たちでしたね」
彼(紳士)は不思議そうに言った。
「そうですか? あんなもんだと思いますけど」
ちょっと意外な答えだったので、私はとまどった。
「私の国ではお得意さんは、やっぱり何となく威張っていますよ。仕事を出すんですから」
彼は驚いたように言った。
「へえ、ものを頼む人のほうが威張っているなんて、おかしな国ですねえ」
私は一瞬、言葉を失ったが、少し考えてすぐ納得した。お金というものがないだけで、こうも常識が変わるものかと思うと、何だかおかしくなって笑い出してしまった。隣で彼も、にこにこしていた。
これを読んで、取引先の会社のことが浮かんだだろうか。それとも上司や社長の顔が浮かんだだろうか。
現実世界でいえば、携帯会社が広告代理店にCMの依頼をするや、自動車会社が下請けに部品を依頼するなどの、関係性といえるだろう。
そうみてみると依頼をする側が威張っているというのは、もはや当たり前の感覚となっているのだろう。
しかし「紳士」がいうような感覚が本来あるべき感覚なのかもしれない。
おかしな国、そんな国で我々は仕事をしているのかもしれない。
おわりに
最後に、「あとがき」から著者の言葉を引用しておわりにしよう。
一人でも多くの人がお金というものの本質に気づき、お金に囚われない生き方をすることによって世の中は必ず変わってくるでしょう。ぜひ、希望を持って、お金のいらない国の想像をふくらませ、楽しんでいただきたいと思います。
お金のいらない世界が本当に来るなら、今よりも人々は幸せに暮らせるのかもしれない。
絶対ムリ、と思うのではなくそうなったらどんな世界になるのだろうかと、ワクワクしていたいものだ。
