
まさにこの本は収監の直前に出版されたものだ。
このあたりの図太さというか肝の据わり具合は、大したものだと思う。普通の人間だったら収監前は憔悴して本を書く元気などないだろう。
ああ、でも本人は本書いてないのか(笑)。くわしくは下の記事を。
細切れの時間の奪い合いが始まる

私が思い描いていた、インターネットに皆が接続する時代がやってきた。(中略)コンテンスを配信している業者は、この人々の時間の使い方の変化に対応しなければならない。私は、その時間を「細切れの時間」と呼んでいる。わずなか時間の隙間を多くのプレーヤーが奪い合う、そんな近未来の構図が頭に浮かんでくる。さて覇者になるのはどのプレーヤーだろうか。
まさにこの細切れ時間の奪い合いが今起こっているのだろう。SNSだけでなく動画配信、漫画配信、音声コンテンツ、これからもさまざまなものが登場するだろう。
ただ思うのは、それだけ細切れの時間を奪われている人々は果たして幸せなのか、ということだ。細切れの時間さえなくなったらどこで安息を得るのか。
ひたすら時間を奪われまくってしまいには寝てる間も何かで搾取されるのではないか、という恐れさえ湧いてきた。搾取されまくった我々は一体どこに行くのか。
たまには、何もしない時間をつくったほうが人は幸せに生きていけるのかもしれない。
いじめられてもネットは使い続けろ

正直にいうと、インターネットだろうがリアルだろうが、いじめをなくすのは不可能だろう。いじめは人間が持っている本能だからだ。いじめは子供だけでなく大人になってもされるものなのだ。
たちが悪いのは、いじめているほうに、大して悪気がなかったりすることだ。具体的な解決法ではないかもしれないが、いじめから解放されるために最も効果的な方法は世界の広さを知ることだ。大人のいじめよりも、子供のいじめが深刻化するポイントは、「世界の狭さ」である。
いじめを受けていた人も、大人になるとそれから解放されたように、生き生きとすることが多くある。もちろん、大人になってからも引きずるパターンもあるにはあるだろうが、やはり世界は広いということを知ると自分の悩みは小さく感じるようになるものだ。
以前、塾講師の林修氏が、「小中学校の友人なんてクソみたいなもの」「親友や仲のいい友達はいなくていい」という主旨の発言をしていた。いじめる側といじめられる側は友達ではないが、友達さえ不要と言っているのだから、いじめる人間の価値などそれ以下だろう。
そう考えると子ども時代の人間関係など、あとから見れば大きな意味はないということに気づくだろう。それが世界の広さを知るということだ。
こんなことを言っても、現在進行形でいじめられている人からすれば簡単に受け入れられるものではないだろう。だから、言えることとすれば、「場所を変えろ」ということくらいか。今いる場所から他の場所へ移るだけで世界は少しだけ広くなる。それを続けていれば世界はもっと広いことに気づくだろう。
テレビは上質な番組を作り続けろ

たとえ一人でも、どうしても見たいと思わせる映像コンテンツ制作能力こそが、テレビの生き残る道である。すなわち、予算を目一杯かけた高画質のドラマ、スポーツ中継、ドキュメンタリー放送などを、テレビは今こそやるべきなのだ。
ホリエモンがこう言っているのは2011年5月の話だ。やはりホリエモンは先を行っている。2018年の現在、テレビは生き残りを模索している状況と言っていいだろう。やはり、ネット配信のように観たいときに観れる、というのは一度味わってしまうと、決まった時間に観なくてはいけないテレビ、というものが非常に時代遅れのものに感じてしまう。
テレビもいい加減ユーザー目線になって変革をしていかなければならないと思う。ホリエモンの言うように、めちゃくちゃお金をかけた本気の番組を観てみたい。それはテレビにしかできないことのはずだから。
おわりに
最初にも言ったが、本書はホリエモンが収監される直前に書かれたものだ。収監前のホリエモンの最後の言葉を引用して締めよう。
私はこれから収監され、2年以上にわたって社会から隔離されてしまう。それを理不尽だと思わず、未来へ向けて前向きに勉強などをして過ごそうと考えている。できる限りの情報発信もするつもりだ。皆さんにはこの本を読んで、既成の常識や道徳にとらわれずに自分の確固たる信念を貫いて生きてほしいと思う。
