
この本を書いたのは「ふろむだ」という人で、同名でツイッターをしている。また、分裂勘違い君劇場というブログを書いていることでも有名だ。
ツイッターはこれ↓
【注意!】iPhone、iPadでKindleをお使いの方へ。
「勘違いさせる力」本は、iPhone、iPadのKindleでは、図やイラストが表示されないことが多いです。
何度かページを行き来すると、表示されたりされなかったりします。
現時点で入手できた情報によると、iOS版のKindleのバグのためだということです。— ふろむだ🍀新著がAmazon1位(心理学) (@fromdusktildawn) 2018年8月17日
ZOZOの田端氏からこんなことをいわれてもいる。
この本99%は正しい!と強く同意するんだが、唯一、違和感があるのは著者が顔を出さず、匿名のペンネームなこと。それこそ、ふろむだ氏の錯覚資産を大いに毀損している。顔出し実名のレバレッジは凄いのに実にもったいない! 真実を書くために匿名にした、と言うのは?ですね。 https://t.co/A71TmWYxIR
— 田端@「ブランド人になれ!」Amazonビジネス実用でセールス1位 (@tabbata) 2018年8月11日
では本書の中身をみていこう。
Contents
なぜペンネームなのか

この問いに本書の中で答えている。
実名で書くと、どんなに正直に書いているつもりでも、無意識のうちに体面や人間関係に配慮してしまって、ウソをついている自覚なしに、文章の中にたくさんのウソが混じるからだ。ウソつきだからウソを書くのではなく、実名に絡みついている関係性がウソをつかせるのだ。
私は、人間関係に縛られず、「本当のこと」を書きたかった。立場上、書けないことも、誠実に書きたかった。だから匿名で書いたのだ。
というのが著者の思いだ。
「ウソをついている自覚なしに」という点について、「まさか」と思う人もいるかもしれないがその理由は本書を読めばわかる。
「直感的に正しいと思える間違ったこと」と「直感的に間違っていると思える正しいこと」

ここではまずこのふたつの文を読んでほしい。
1、「直感的に正しいと思える間違ったこと」
2、「直感的に間違っていると思える正しいこと」
1回読んだだけでは、すっと入ってこないかもしれない。何度もこの文を読んで自分の中に取り込んでほしい。ここもこの本の中で重要な点だからだ。
少し違う表現をするなら、「1」は「一般大衆の考え方」、「2」は「正論」となるだろうか。SNSでインフルエンサーたちがあれこれ叩かれていたりするが、それはだいたいが正論をいっているからだ。
人(一般大衆)は、正論を嫌う。なぜ正論を避けようとするかといえば、正論は図星であることが多いからだと思う。人は自分の心のことをピタッと当てられると嫌悪感を示すものだ。
占いで未来のことをいわれるのとは違い、正論は過去か現在のことであるから、嫌なのだ。どうなるかわらかない未来のことであれば別に怒ることもない。突拍子もない占いだったらわからないが。
「2」を使うときは気をつけたほうがいい。
SNSでもリアルでも、「直感的に間違っていると思える正しいこと」を言うと、友人知人に間違っていると決めつけられ、反感を買い、嫌われる。
「直感的に正しいと思える間違ったこと」を言ったほうが、人々に共感され、支持され、交友関係がうまくいくから。
さあ、あなたはどちらを選ぶ?
嫌われることを恐れないで生きることができたら、とは思う。
自分の意思で選択しているとしか思えない

恐ろしいことに、人間は、判断が困難なとき、自分で思考するのを放棄して、無意識のうちに、デフォルト値を選んでしまうことが多いのだ。
これは恐ろしいことだ。何か恐ろしいかというと無意識に支配されてしまっているということ。人間は自分で考え決めているようで、実はそうではないということだ。
本書に例が書かれているが、「今のままA社に居続けるか、B社に転職するか、C社に転職するか」、こういった選択がある場合、ほとんどの人がデフォルト値であるA社を選択してしまう。
この力により、会社に縛られる勤め人の完成だ。更にその力が強まれば、社畜の完成である。そうならないよう気をつけるべきだろう。
ただ、転職がすべてではない。今の会社を選ぶことが悪いわけではない。会社を選ぶには、業種、給料、人間、場所など、様々な要因があるはずだが、それを自分の頭でどれだけ考えて選択しているかという点が重要である。
しかし、その選択がデフォルト値かどうかは常に意識すべきであろう。
食欲でも睡眠欲でもない、性欲よりもはるかに切実な欲望

食欲でもなくて睡眠欲でもなくて性欲でもなくて、それよりもはるかに切実な欲望とは何か。
それは、「コントロール欲」とのこと。
ここでは老人ホームでの実験が書かれているが、なかなか恐ろしい実験ではある。内容としては老人たちをふたつのグループにわけ、学生ボランティアが訪問する日時を、自分たちで決めて良いグループと決められないグループにわけた。
結果、日時を自分たちで決めたグループのほうが健康で活動的になり薬の投与量も減ったとのこと。だがこれにはまだ続きがある。
学生ボランティアが終了した数か月後、自分たちで決めたグループの死亡率が極端に多くなったのだ。
要は、人はコントロールすることで活動的になるが、それを失ったときの精神的ダメージはデカい、ということだ。
これがいつどこの国で行われたことなのかは書かれていなかったが、恐ろしいのひと言だ。
しかし、私たちの生活にあてはめてみれば、常に実験にさらされているといっても過言ではない。どのような方法で宣伝すれば、人は物を買うのか、ということを常に試されており、人はそれに無意識に反応し、購買活動をしているといえるだろう。
少し話がそれたが、人はとにかく「コントロール」したい生き物なのだ。それは大人も子どももそうだろう。幼児でも言葉をある程度使えるようになれば、人にあれこれ命令したくなるように、人は生まれながらにして他の欲求と同じように「コントロール欲」を持っているのだろう。
次の箇所は人が幸せになるヒントが隠されている。
「成功するかどうかはコントロールできない」という現実を直視するよりも、「成功するかどうかはコントロールできる」という幻想の中で生きたほうが、はるかに幸せなのだ。
しかし、「成功するかどうかはコントロールできる」という幻想に浸れば浸るほど、逆に成功確率は下がっていく。なぜなら、現実が見えていないと、成功確率を下げるような選択をし続けてしまうからだ。
このジレンマをどうするべきか。本書では「運の運用」が解決策と書かれている。その内容は本書で確認してほしい。
おわりに
「おわりに」で著者の思いが綴られている。この本を読むことで次のようなことが起こると書かれている。
あなたはこの本を読む覚悟があるか?
だから、あなたは孤独になるだろう。
酔った人間の群れの中で、あなただけがしらふなのだ。
狂気の人間の群れの中で、あなただけが正気なのだ。
目をつむった人間の群れの中で、あなただけが目を開けているのだ。
夢を見ている人間の中で、あなただけが覚醒しているのだ。これ以上の孤独があるだろうか。

さあ、覚悟ができた順に本書を手に取ろうぜ。