
あなたは、悩みがあるだろうか?
あなたは、いい出会いを求めているだろうか?
あなたは、心にポッカリ穴が開いているだろうか?
そんな人はこの本を読もう。
読み終えたあと、頬を伝うものがきっとあるだろう。
この本は修道者でもある渡辺和子さんが書かれた本だ。
冒頭にはこう書かれている。
修道者であっても、キレそうになる日もあれば、眠れない夜もあります。そんな時に、自分をなだめ、落ち着かせ、少しだけでも心を穏やかにする術を、いつしか習いました。
三十代半ばで、思いがけず岡山に派遣され、翌年、大学学長に任命されて、心乱れることも多かった時、一人の宣教師が短い英詩を手渡してくれました。Bloom where God has planted you
(神が植えたところで咲きなさい)「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。
置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。
咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。この本が、読む方の心に少しでも和らぎをもたらすようにと願っています。
修道者であっても普通の人間ということだ。
こうやって最初に書くことでハードルを下げ、読み進めやすくなっていると感じる。
では見ていこう。
仕事の奴隷

働くことはすばらしい。しかし、仕事の奴隷になってはいけない。きちんとまわりが見えているだろうか? 心にゆとりがないと自分も他人もいたわれない。
これを読んでふと思いましたが、日本に仕事の奴隷ってどのくらいいるのだろうか。
仕事の奴隷という言葉の定義は難しいですが、自分自身が仕事の奴隷だと認識している人もいれば、そうでない人もいるだろう。
もしかしたら自分も。。。
勤め人をしていると会社にいることが仕事の奴隷と考えるが、フリーになったとしても仕事に追われ余裕がないのならば、それも仕事の奴隷と言えるのかもしれない。
仕事の奴隷になるな、という言葉自体は他でも聞いたことがあるかもしれないが、この言葉のやっかいなところは勤め人が板ばさみになってしまうことだ。
奴隷になるな、と言われて会社を辞めてフリーになった人がいたとして、それがうまくいけばいいですが、うまくいかない方が多いはずです。
その場合、奴隷になるなと言われて会社を辞めてしまった人は、ある意味被害者です。
自分で決断したので本来被害者ではないですが、その張本人は自分を被害者だと思うのではないだろうか。
こうなると仕事の奴隷になりたくなくてフリーになった人は失敗し、仕事の奴隷を選んだ人は特に何もなく凪、どちらがいいだろうか。

悩みに対する心の持ちよう

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
悩み疲れる前に、別の視点から考えてみよう。見方が変われば、たとえ悩みは消えなくても、勇気が芽生える。
人にはいろんな悩みがあるはず。
それは誰もが悩むようなこともあれば、生きるのが辛くなるほどの悩みもあると思う。
この章で書かれている言葉で「神は力に余る試練を与えない」とある。
試練は様々ですが、それぞれその人にあった試練が用意されていて、その人が越えられる壁しかそこにはない、という意味のこと。
私個人としては、悩みは越えられる、と簡単に言いたくない方だ。
悩みというのは本人にしかわからない苦しさがあるし、本人特有の環境や性格にもたらされるもので、他の人には起こり得ないことだったりするもの。
そんな他人には知りようもない悩みを持つ人に対して、「大丈夫だよ」などと気軽に言うことはできない。
自分が悩みを持っているときに、気軽に「大丈夫」と言われても、何も響かないであろう。
だが。
力に余る試練というものはなく、すべて越えることができると思ってもいる。
越えることができなかった人は単純に、途中であきらめてしまった人なのだ。
まずは悩みを整理して、客観的な視点を見直すところからはじめてみよう。
少し余裕をもって自分を俯瞰でみることで、何か違ったものが見えてくるかもしれない。

行き急ぐよりも心にゆとりを

はい、現代人のみなさん。
ここはじっくり読んでみよう。
時間の使い方は、そのままいのちの使い方になる。
待つことで、心にゆとりができると気付いた時、生きている「現在(いま)」は、より充実したものになる。
あなたはいのちをどのように使っているだろうか?
ただなんとなくテレビを観て時間を浪費していないだろうか?
ただなんとなく友人と飲みに行って時間を浪費していないだろうか?
ただなんとなくではないけども仕事に追われて家庭を顧みずに時間を浪費していないだろうか?
著者はエレベーターが閉まるほんの4秒が待てずに「閉」のボタンを押してしまったときに、「4秒すら待てない私」を変えようと決心したそうだ。
やはり時間を大切にするには、なんのために時間を使うのか、が明確になっている必要があるだろう。
みなさんそれぞれ自分が大切にするもの、大切にすべきものは何なのかを考え、時間の使い方を見直してみることをおすすめする。

最後に
ではこの言葉を引用して終わりにしたいと思う。
一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。
人生の最後に、たくさん与えた、と思えたらそれがいちばんしあわせなのかもしれない。