書評記事を中心に書き続けているが、まったくといっていいほど達成感はない。
むしろまだまだといった気持ちのほうが圧倒的に大きい。
またスタート地点にすら立っていないような感覚に陥ったほどだ。
100メートル走でいえば、スタートラインより更に10メートルほどうしろにたっているような、なんともいえない疎外感を覚えた。
これはブログをはじめたときの感覚と似ている。
ブログをはじめた当初は、100記事まで書けばなんとかなるだろうという思いがあったが、この小さな山を登ってみて思ったことは、他にもっと大きな山が腐るほどある、ということだ。
この記事では、私自身を振り返るつもりで、なぜ書評ブログを書くのかを考察してみたい。
これからブログをはじめる人、ブログをはじめたはいいが数記事で手が止まっている人、そんな人に何かヒントになればいいと思っている。
Contents
理由1 本が好きだから

なぜ書評ブログを書いているのか、と問われたらまっさきにいう言葉は「本が好きだから」と答えるだろう。
本が嫌いであれば書評ブログなど書かないだろう。好きだからこそ書くのだ。これはどんなブログでも共通していることではないだろうか。
いや、なかにはビジネスと割り切って儲けるためだけに、ブログを書いている人や、その仕事をしている人はいるかもしれないが。
だが、ただ好きというだけでは長続きしない。
理由2 本との出会いを手助けしたい

本との出会いは人と人の出会いに似ている。ふとした偶然から人と人は出会い、恋をしたりするもの。
そして、そのある人との出会いが自分の人生を大きく変えることになる。
本との出会いも恋のようなものだ。
ある本と出会うことで自分の人生が変わることがある。ある言葉に出会うことで心が癒されることがある。
そういった出会いを書評でお手伝いして、あなたと本の出会いの架け橋になればいいと思っている。
しかし、本は人と違って自分で歩いてはこない。
本と出会うときは、誰かからすすめられたときや、本屋で偶然見かけたときというものがあると思う。
だが、あるときは、目的の本を探そうとしてようやく出会うということがある。
これは自分が探そうと思わなければ出会わないため、一生その本とは出会わない可能性も大いにある。
出会うことができれば人生を変えることができたはず、という本は必ずあるはずだ。
そういったある種、損をしている人たちのお手伝いができればいいと思っている。
このブログを覗き、出会うべき本、出会うべき言葉、を見つけたならこれ以上幸せなことはないだろう。
あなたの人生がより輝くために、本を助けを借りることをオススメしたい。
理由3 人の助けになりたい

理由2と近いことではあるが、本を紹介することで誰かの助けになればいいと思っている。
私自身、本との出会いで救われたことは何度もある。
ある本のある言葉、それが今も心の中に残っているのだ。
その言葉に出会わなければ、今の自分はないかもしれない。
その本に出会わなければ、この命はもうなかったかもしれない。
そう思うと、やはり本の力は偉大だと思う。
どの本がその人の心に響くかは人それぞれだ。
ベストセラーになった本が響く人もいれば、古書店の隅に眠っている本が響く人もいるだろう。
どこまで書評ブログでカバーできるかわからないが、より多くの人の助けとなるよう幅広い本を紹介していきたいと思う。
その中のどれかひとつでも、そしてその本のたった一文でも、あなたの心に響き、あなたが勇気づけられたなら、私の存在意義というのも少しはあったということになるだろう。
理由4 他に書きたいことがない

私は本を年間何冊も読んでいる。
故にブログを書くなら書評しかないと思っている。
今後、別のものを書きたくなるかもしれないが、今は書評を書くことが自分の仕事だと思っている。
自分のやりたいことを突き詰めていけば、その先に今までとは違う景色が見えてくる、自分はそう信じている。
理由5 世界を少しだけ住みやすく

今この世界は、住みやすいと言えるだろうか。
あらゆるものが進歩し、人間は豊かに暮らせるようにはなったが、それでもまだ人は苦しんでいる。
便利な世の中になったのとは逆に、ストレスを多く抱え、自ら命を絶ってしまう人は増えている。
一体、幸せとは何なのか。
この問いには答えがないのだろう。
これから先も問い続けることになるのだろう。
自己啓発本などには、生きやすくするための方法なども多く載っている。
ちょっとした他人への気遣いがあれば、それだけであなたのまわりは住みやすくなるものだ。
そういう気遣いをするために、みんなが本を読んで少しずつ実践すれば、世界は変わるのだ。
この冷酷で残酷な世界を少しでも変えていくには一人ひとりの心がけ次第。
難しいことのようだが、実現できない遠い夢でもない。
理由6 自分のため

書評をまとめるというのは、誰かにためにやっていることであり、自分のためにもなっている。
本を読んでも内容を忘れてしまうことがほとんどだろう。
そのためにアウトプットは必ず必要になる。インプットだけでは人は成長しない。
アウトプットは何でもいい。手帳に書き留めるでもいい、ツイッターでつぶやくでもいい、誰かに話すでもいいだろう。
その中で自分にあったものがブログだっただけのこと。
あとで自分の書評を見直して、そこで忘れていた何かを思い出すことができたら、それも意義のあることだと思う。
誰かではなく自分を救うためのものなのかもしれない。
理由7 子どもへの遺書

人はいつ死ぬかわからない。
数十年後かもしれないし、数年後かもしれないし、明日かもしれないし、1分後かもしれない。
それは誰にもわからないのだ。
だから何かを残したいと思う。
死ねばブログはいつか消えてしまう。
それでも何か残したいと思った。
自分が死なないまでも、ずっと書き続けていたら、子どもが本を探そうとしたとき、ここに行き着くかもしれない。
そのときに、少し助けになれたらいいな。
親としては言えないことも、書評という形なら言えるかもしれない。
直接よりも遠回しに言われたほうが子どもの心に残ることもあるかもしれない。
誰が書いたものか知っていても、知らないとしても、そこから何か子どもが得るとすれば、それがいいのかもしれない。
きっとそれでいいのだ。
理由10 面白くない本などないということを伝えたい
京極夏彦氏の「姑獲鳥の夏」でこんな記述がある。
「面白い、面白くないという君の尺度にもよるが、だいたいこの世に面白くない本などはない。どんな本でも面白いのだ。だから読んだことがない本は大抵面白いが、一度読んだ本はそれより少し面白がるのに手間がかかるという、ただそれだけのことだ」(姑獲鳥の夏)
これがすべてを楽しむコツ。#京極夏彦
— PANDA (@tsutomeninpanda) 2019年2月9日
この言葉を本を多く読んだ人でなければわからないだろう。
「?」となった人はまだ読書量が圧倒的に少ないのだと思う。
本は退屈、と思う人もいると思うが、一文一文はそれぞれの人生を描いており、それを読めば得るものは必ずあるはずだ。
何気ない人生の1シーンでも、本人にとっては重要な意味を持つことがあるように、本の中の些細な表現が実はとても大事なものだったりする。
何気ないシーンがつまらないと思うなら、人生の大部分をつまらないものとして捉えてしまうだろう。
人生も本も、どの部分にもどんな言葉にも意味があり、その積み重ねが人生を彩っているということを忘れないでいただきたい。
ということで、本を読もう、言いたいのはこれだけだ。
おわりに
「10の理由」としたが、ここでいったん綴じようと思う。
また、追記したい。